特別な日 back
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午後一時

彼の家に着いたときはもう一時を過ぎていた。
移動の最中にほかにもう一人手伝いにくることを聞いたが、俺とは在学中まったく接点がなさそうだったので名前だけ聞いておくことにした。
着くともう一人も既に来ていたので、挨拶もそこそこに作業を始めた。
一人暮らしのためか荷物も少ないので、始めてからわずか三十分ほどで大物を除いてほぼ運び出し終えていた。
大物の前に一息入れようと言うことになり、始めに比べるとずいぶん広く感じるようになった部屋で缶コーヒー片手に俺以外の二人は話を始めた。
二人はサークルが一緒だったらしくしばらく先輩や後輩の話に花を咲かせていたようだが、なぜかそのうちに突然俺の名前が聞こえてきたので今夜のことを考えていた俺は意識を現在に戻した。
「ねえ、君は教員免許取ったの?」
彼が忘れ物がないか確認して来る間にそう話しかけてきた。
「高校のなら。」
別に答えなくてもよかったのだが、ついそう答えていた。
「じゃあ高校で働こうとは思わなかったの?」
「思わなかった。」
「ふーん。」
何が聞きたいのか分からなかったが、気にしないで置くことにした。
そして大物を荷台に載せて、運転手である引っ越す当人と新居で待ち合わせることにして、二人で電車で向かった。
何も二人とも電車で行く必要もなかったのだが、俺が新居の正確な位置を知らないのと一応女である助っ人に気をつかったらしい。
だからといってトラックに三人は乗れないのでこうなったわけだ。

午後二時

「ところで今就職先探してるって本当?」
電車内でそう話しかけてきた。
「それがどうかした?」
確かに今は就職先を探していることになっているので、本当と言えば本当であるがさっきやつに言ったことを後悔せずにはいられなかった。
「そう。私は大手の予備校に就職したんだけどつい最近講師の一人が痴漢で捕まっちゃってくびになっちゃったの。それでなるべく早くに新しい講師を補充しないといけないんだけど、もし良かったら試しにやってみない?」
君なら教科も合ってるし成績も良かったって聞いてるけどと、付け加えられた。
はっきり言って突然そんなことを言われたせいで頭が混乱していた。
大体成績が良かったって誰に聞いたんだ?
「それはバイト?」
とりあえずそう聞いてみると、
「最初はバイトだけど、二ヶ月たって良さそうだったら簡単な入社試験と面接をやって正式な社員になる。うちの会社は随時入社だからこういう感じで入社してくる人が多いの。」
と言う返事。
はっきり言って昨日までなら二つ返事で受けているような魅力的な話だった。だが、
「今はちょっと無理です。」
そう言うと、
「そう・・・。なら、これ渡しておくから気が変わったら連絡して。来週中なら間に合うから。」
と名刺を渡された。
それっきりその話しは終わりになった。
俺たちが着くと、もうトラックも着いていて既に荷物を運び入れる準備はおわっていた。
部屋はかなり下のほうだったので運ぶのも楽だった。
二十分ほどですべて運び入れてしまうと、全員昼食がまだだったので近くのファミレスへ食事に行くことにした。
時間がずれているからか、結構店内はすいていた。
「今日は俺の引越しなんてものに付き合ってくれてありがとう。約束道理ここはおごりだから好きなの頼んでよ。」
動いたせいか空腹だったのでセットの大盛りを頼むことにした。
「それにしても一人じゃないんだな」
さっきから思っていたことがつい口に出た。
「なにがだ?」
「部屋に住むの。明らかに女物が混じってたぞ。」
「ああ。そのことか。確かに今日から一人じゃないな。」
やつは少し照れているのか、少し早口だった。
「高校時代からの彼女で、今度一緒に暮らすことになったんだ。」
「あら、それは初耳ね。おめでとう。」
「おめでとう。」
ありがとうと彼が返事をし、その後続けて彼女について話し始めたので料理がきたのをいいことに相槌を打ちつつ適当に聞き流していたが、そのうちそうも行かなくなってきた。
「それにしても思ったより元気そうだな。佐藤に相談された時の話じゃ、今にも死にそうな顔をしていたって聞いたぞ。」
と、やつが口を滑らせたからだ。
佐藤は高校からの後輩で一個下だった。
四月に最後の会社から不採用の通知が届いた後、一人で自棄酒を飲んでいる時にたまたま訪ねてきたので愚痴を聞いてもらった。
その時はよほどひどい顔をしていたのだろう。
それで納得がいった。
「だからわざわざ俺なんか呼び出したのか。ほっときゃいいのに。」
「そんなこと聞かされたら放っておける訳無いだろ。それでたまたま今日都合のいい用事があったから呼び出したって訳。」
「余計なお世話だ。」
とはいえ、心配してもらって怒るわけにも行かないのでやや拗ねたような口調になってしまった。

午後三時

「そうだ、引越ししたから家の電話番号変わったんだった。おまえ卒業アルバム買ってたっけ?」
「いや、買ってない。」
「まあいいや。これやるからなんかあったら連絡してこい。今日のお礼にどんな悩みでも聞いてやる。」
お礼はもう言いといおうとしたのだが、有無を言わさず裏に電話番号が書かれた名刺を渡されてしまった。
俺が二人から解放された頃にはもう時刻は三時半を回っていた。
食べ終わった後も長々としゃべっていたが、話すことが無くなったのかようやくお開きになった。
別れる間際、『さっき言ったこと、よく考えといてね』と念を押されてしまったからか、渡された二枚の名刺を見ながら自転車を置いた場所まで歩いた。
―――こんなもんもらってももう意味ないだろ。さっさと捨てちゃえよ。
そう自分に言い聞かせるがなぜか捨てられなくて、二枚の名刺はポケットにしまった。
まだ家には戻りたくないのでどこにいこうか考え、駅前に行こうとしていたのを思い出したので駅前まで行くことにした。
駅前の大通りを自転車でこいでいると、『恵まれない子供たちに愛の手を』と募金を呼びかける人が並んでいた。
普段なら素通りしてしまうのだが、百円募金することにした。
「ありがとうございます。」
と笑顔で言われたので
「どうも」
とだけ返して自転車を止める場所を探してその場を去った。


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